今朝TVを見てたら、年収の壁問題に関係するんだろうか、ネットで「通勤手当にも社保料がかかるっておかしい」という論調が盛んだそうだ。
確かに106万円までの収入であれば社保料を納める必要がないっていう根拠には、それくらいは仕事をするうえでの必要経費だったり、最低限の生活を営むのに必要な金額だという事があるんだろうから、通勤手当なんかも完璧な必要経費だろうし、なんで通勤手当を社保料計算の中に含めるんだ、って気持ちは分からんでもない話。
TVで紹介されていたネットの投稿は「同じ給料の人と比べたら、遠くから通勤している自分の方が社保料が高くて手取りが少ない。こんなのおかしい。」とか「そもそも通勤手当が計算の対象に含まれてるなんて知らんぞ。」とか。
まあこれも心情的には分からんでもない、というか確かにそう思うよな、とむしろ積極的に同意。
でも冷静に考えると通勤手当って、やっぱりこれはマゴウことなき収入だわなあと思う次第。
自身の経験で考えても、通勤手当を満額払ってくれるバイトなんて記憶がない。払ってくれてもせいぜい500円までとか。要はバイト先まで交通費がいくらかかるか、承知で応募したんだろう?と言われればそれまでの話。嫌なら応募しなければいいんじゃね?となるだけ。
とは言え人手不足で兎に角人を集めたいとなれば、時給が上がる上にその他条件も連れて上がっていくだろう。であれば交通費は「雇用条件の一部」であることは明白な話。決して会社が当然支払うべきものなどではない。
聞いた話で直接知ってる訳じゃないけど、アメリカなんて正社員だってこの方式で、あなたのスキルや能力、アウトプットにギャラを払うんであって、会社へ来るのにいくらかかるか、それはあなたの問題ということだそうだ。
だから自ずと、郊外の広い庭があって、静かな環境の良い所に住めるのは、通勤などにそれだけの時間や費用を負担できる高給取りに限られるんだそうだ。逆にオフィス街に近くてしかも環境の良い所に住めるのもまた高給取り限定。
そう考えると、日本では通勤手当を会社が負担するのが当然のように思われているけれども、これって長い慣習の中で、他もみんなやってるし、そうしないと人を採用できないからそうなっているだけなんだろう。
でも新幹線通勤でも月に7万までとか「税法の非課税限度額より少額の限度」を決めているところもあるし、小さい会社だと1万までとか3万までとか、あるいは「6か月定期券料金に限る」とかいろんな独自制限をかけているのも、これはあくまで雇用条件であって、決して義務的な経費補償ではない、と考えるのが正しいんじゃないだろうか。つまりは収入である。
日本では職業選択の自由や契約の自由(誰と、どういう内容の契約を、結ぶも結ばないも、自由)や移動の自由などなど、基本的には大概は自己決定できる。
そこには裏側に「自己責任」が張り付いているはずなんだけれども、例えば通勤手当のような、世間の常識とか慣習とかになっている対象だとそんな意識は結構希薄になりがちだとは思うよね。
でも、どこに就職するかもどこに住むかも自由が保障されている以上、無茶は承知で言えば、通勤費が高いと思えば会社を変えるも住居を替えるも、それは自分の自由である。誰もそれを咎める権利はない。だから、それに関して不利益だの不公平だの言うこと自体が、まあ間違いではあろう、ということになるんじゃないか。
繰り返すけれど心情的には良く分かる。制度が不公平じゃないかって気持ち。でも制度は「収入段階に応じて社保料は払ってもらいます」って言ってるだけでそれは全然公平。論点は通勤手当が収入か否か。
で、そこは「収入」だろうと考える、って事。であればこそ税法は非課税枠を設定した。けれど、社保は免除制度を設定していないってだけの話なんだろう。
同じ国なのにおかしい!って声が聞こえてきそうなんで、まずはこれまで。