毎年この時期に出て来るのが「合計特殊出生率」。いよいよ1.15だそうだ。

昨日の日経一面で2024年に生まれた子供が70万人を切ったとのこと。この際70万にどれほどの意味があるか知らないが、合計特殊出生率が1.15はビックリ。

 確か前年のそれは1.23だったように記憶しているから、1年でさらに6~7%も減ったことになる。さあ大変だというので別面でもさらに深堀の記事が載っていたんだけれど、今日になってあらためて、今度は社説の全面使って目一杯問題提起している。

 曰く、「出生率1.15は変革怠る社会への警鐘だ」。

 で、その「怠った変革」というのが、まず、将来にわたり安定的に働き収入を得られるかという不安による「未婚化・晩婚化」。続いて、長時間労働や非正規などの「雇用・労働慣行」。さらに育児は女性がやるものといった「性別の役割分担意識」。などなど課題が列挙されている。

 が、これって本当か? 逆に言えば、これらが解決すれば女性が子供を産むようになるのか。その効果の見積もりはされているのか?

 いつからか覚えていないが、上記のような課題への対策は相当な期間、あの手この手と打って来たんじゃなかろうか。その結果として毎年のように出生率がきっぱりと下がって来ている訳で、まあやり方が悪いとか質や量が足りないとかケチの付けようはあるが、同様に、原因はそこじゃないというエビデンスである可能性もある。

じゃあなんだと言うと、ちょっと身もふたもない話になるんだけれど、私はある種の文明論に行きつくと思うんだが。

 いきなり胡散臭く思われたかもしれないが、元になる考え方は真っ当で、「ユバル・ノア・ハラリ」という歴史学者の「ホモ・デウス」という、少し以前に評判になった書籍に拠っている。

 そこで言われているのに、人類は今、「人間至上主義」という”教義”、ある意味で”宗教”に生きていて、人間の自由意志こそが最高の権威であると信じているし、近代にいたって自由主義の国々では「個人主義」、「人権」、「民主主義」、「自由市場」というパッケージを絶対的に信奉している、というのがある。

 まあそこまで哲学っぽく考えずとも、例えばハラスメントでは「された側がそう感じればそれはハラスメントだ」というのが定説だろうが、「私」がどう思うかが絶対的な価値であり、何人も犯すべからざるものなのだ。

 「聖書(コーラン)が、汝これをすべからず」と言ってるからダメ、などとは考えない。決めるのは自分であって、神と言えどもその任にあらず、というのが現代なのだ。

 さて、そう考えると、新聞で言われたような課題の全てがどう解決されようと、私は(まだ)結婚したくない、私は(まだ)子供を産みたくない、という自由意志がある人については、条件の如何に係わらず子供を生むことは望み薄であって、逆に生みたければ多少の条件の悪さなど乗り越えても生むかもしれないと考えると、周囲が、ましてや国が到底”誘導”などできる話ではないということだ。

 こういう人がどれほどいるのか、逆に条件が整わないから本当は欲しいけど子供を持てないという人がどれほどいるのか、もう少しきめの細かいリサーチが必要ではないだろうか。

 新聞の指摘のように、まるで誰もかれもが条件が悪いから子供を持てないというような論調では対策を誤るし、現にずっと誤り続けているようにしか、私には思えない。

 もし文明論的なテーマが底流にあるとするならば、人口減つまりは国力減を所与の条件として、例えば人口8千万の日本を想定してどういう国づくりをするかとか、移民の2千万人受け入れ策とか、そっちの方向で考える手もあるんじゃないか。

 あるいは、既に子供を持っている人限定で(子供を持つ意志があったから子供がいるんだろうという前提で)さらにもう一人生んでもらうような施策とか、ちょっと振り切った対策も考えた方が良いんじゃないかと思うのだが。