錣山親方、否否!寺尾逝去の報で懐旧の念、湧きまくりだ。

寺尾には特別の思いがある。

 別段相撲オタクでもなく、寺尾の取り口がどうのと語れる訳でもなく、ただ単に仕事で行かされたあるパーティで、当時現役の寺尾を間近に見たことがある、というだけのことだ。

 それで何故特別の思いかというと、有名人のオーラという物を初めて実感したのがその時だったから。

 光っていた。彼のいるそこだけスポットライトが当たっているかのように、文字通り、掛け値なしに光っていた。

 TVで知る寺尾は小兵に見えていたが、大勢の一般人に混じると首一つ抜けていた。その髷は鬢付け油で光って当然だが、顔も、来ていた着物(浅黄色というのか、実に美しい明るい水色だった)も、すべてが光っていて、彼だけがぼおっと浮き上がって見えた。

 その周りを、和服で着飾ったご婦人方が取り巻いていて、動く錦絵といった風情。そこだけ別の時間が流れ、別の風が吹いていた事を思い出す。

 一体にあの頃の力士は今と違ってオーバーウエイト感がなくて、そのままラグビーやアメフトの選手で通用しそうな、カッコいい人が多かった。

 代表は初代貴乃花か。彼は実際にNFLのヘッドコーチが「良いラインマンになる」と言ったとか言わないとか、増井山なんかはレコードまで出して、その筋のお姉さま方に大変オモテになったとか。

 寺尾もその一人だろうが、書いていて皆さん大相撲の血筋の人だなあと気が付いた。大きくなくても三役や上位でやれるのは血筋もあるんですかね?

 でももっと古いところでは豊山なんかは越後の苦労人だし、千代の富士や先代霧島もカッコ良かったが。北の果てや南の果てからのし上がった口だから、まあ人それぞれってことか。

話は逸れるが、初代貴乃花も間近に見たことがある。

 その時は地方巡業の支度部屋、と言っても松林に紅白幕を張っただけのものだったが、取り組みが全て終わると大関横綱くらいしか残っておらず(もちろんそれらの付き人も居るが)、図々しい連中が幕の隙間から勝手に入り込み貴乃花を囲んだ。その中にまだ学生だった自分も紛れ込んで居た次第。

 夏巡業の最中で力士の肌も褐色にぴかぴか光って、それはそれは美しかった。鷲羽山麒麟児なども見れたし(知ってたらおよその年齢が知れる。あるいは相当なマニアか。)引き上げる北の湖が、うら若き私とほとんど肩が触れるように去っていったのも良い思い出。

閑話休題

 そんな思い出の中の寺尾ではあるが、あのオーラは結局は「大相撲界」の持つオーラだったのだろうと今は思う。当時の大相撲界にはいわゆる「色気」のある力士がたくさんいたと思うし、その色気の根源は、もちろん命がけの勝負師としての本質が大きいだろうが、さらにタニマチ=ごっちゃん文化、お座敷文化、色町・花街文化との親和性も大きな要素のように思う。

 大相撲が神事であり、興行であり、格闘技であり、そして(最後に)スポーツであった時代には、一般の社会における道徳・倫理観とは別種の、独自の流儀というか文化というか、内輪の論理を含めて「その世間に生きる者」の世界観があったと思うが、現代の不寛容さは、大相撲にまでスポーツとしての公正性やアスリートのストイックさを求めるようになってはいないか。

 歌舞伎の世界にも同じ匂いを感じているのだが、「その世間に生きる者」がこちらの世間と触れるときに発する「色気」「異世界の気配」は、まさに彼らからしか得られないのであれば、彼らの世間との相違を「あるもの」としなければならず、異世間への寛容性を失ったときに、多くの感動も失うのだろう。

 寺尾逝去の報に、そんなこんな、ちょっと大げさなことまで思った次第。合掌。