その子育て支援、エビデンスはあんのかい?

上白石萌音ですっかりおなじみの「エビデンス」。その政策にはあんのかい?

 政策評価が盛んに言われている昨今、こんなことを市井の一おじが言っても始まらないのは承知の上。でも言わずにいられない性質だからしょうがない。

 今日の日経に、大阪府の高校授業料無償化制度に対して、近隣府県の私立の7割が不参加を表明したと報じられている。一定額を大阪府が出すが、納付金の総額でそれを超える部分は学校が出せという制度だから、そりゃ有名な学校ほど反対するに決まってる。

 学校だって私立は一つの経営体だから、教育に自信があって生徒募集に自信が有るところは授業料を100万でも200万でも、いくらに設定しようと自由だろう。

 生徒や親もそれに見合う価値があればお支払いしますよと、そこには「市場」が成立しているのに、府が「〇万円は府が払うので、残りは学校がカブれ。いえいえ親御さんは一銭も払う必要ないんですよ。払ってはいけません。」と勝手に割り込む権利がどこにあるのか。言ってることが無茶苦茶だ。

 むしろ、高い金を払うから貧乏人や下々と一緒にするなという現象は、飛行機のファーストクラス、電車のグリーン車、ホテルの最上階スイート、星野屋旅館?などなど世間一般の常識だろうし、知事や市長なら普段からお世話になっているはず。なのになぜこんな非常識な政策を打とうと思ったのか、理解をはるかに超えて、ほとんど呻吟の域にある。

言いたいことは行ったから、さて、エビデンスの話に戻る

 まずこの政策は「子育て支援策」と言われる範疇に属すると思うがそれは間違いないか。

 次に、「子育て支援策」とは、子育てを支援する=子供を持つことに不安がなくなる=出生率が増加する、つまり「子育て支援策」=「出生率向上策」だとなるが、これは間違いないか。(さらに言えば出生率向上策=我が国の人口構成、ひいては経済や国力の健全化に資する、ということが最終目的だろうが、ここではそこまでは広げない。)

 それらが正なら、大阪に限らず高校の無償化とか大学の無償化とか、学費を無償化すると「出生率が上がる」と為政者は考え、判断したということになるが、ここでエビデンスの出番だ。

そんなエビデンスはあるのか?

 よしんば、出生率は上がるんだとして、どれだけ上がるのか。人口”維持”には2.07人必要と言われているが、昨年が1.26人。見込みは立つのか。しかもすでに何十年も人口は減少しており、今後も出産適齢とされる母数は数十年に渡って減り続けるのである。上記の数字2.07も年々上方修正されていくだろう。

 「減少スピードを少しでも緩和する」といった思いもあるかもしれない。では何人を政策の目標値とするのか。当然他の政策と総合的に見るとしても、つまるところ目標値を示すことができるのか。

 と考えると、子育て支援金を所得制限もなくバラ撒く意味は奈辺にあるのか(懐かしい言葉。竹下総理なんかが良く使ってたなあ。)自ずと底が割れている。

 総体として今どきの若い家族は余裕があると思うが如何か。反論もあろう。が、シーズンになると羽田空港で海外旅行に出かける子連れ家族が幸せそうにTVに映ってる。

 あんな子供たちの授業料を税金で面倒を見てあげる必要があるのか。私たちの子育て時代は小さい子連れのハワイ旅行など一部の限られた層の話であったから、一納税者として、個人的には到底納得しがたい。

 それはそれとして生活に困窮している家庭も多いと聞く。そういう家庭の子供たちが家庭の経済力に関係なく、自分が望む道に進めるよう十分な奨学金を支給するような政策こそ重要じゃあないのか。

 絶望的な出生率向上などでお化粧した政策にこだわるよりは、堂々と正直に、縮小を前提とした豊かな国家像を設計し、どう運営するかをしっかり考えるべきだろう。