羽田の事故でヒューマンエラーとヒトの可能性について思うこと。(ちょっとマジメ)

 羽田の事故について日々客観的な事実が明らかになって、報道からはヒューマンエラーの可能性も伝えらえれている。

 ヒューマンエラーに関しては、私が学生の時、つまりは相当昔からすでに人間工学とか心理学とか、いろいろな分野で「専門家」と言われる人もいて、研究や対策も進んでいたし、現在ではそう簡単に「ヒューマンエラー」だけで致命的な事故にはつながらない社会になっていると思う。

 ごく身近にもその成果といえる仕組みはたくさんある。例えば自動車が追突しかけた時に、機械が勝手にブレーキをかける装置とか、前に壁などがある時に急発進ができない装置とか、あるいはガスコンロの空焚き防止なんかもその類だろう。

 航空機やその周辺では事故=大惨事の蓋然性が高いから、より高度に対策が進んでいると思うし、その点では今回の事故も専門家がこぞって「なぜ、どうして」と発言するほど、「普通なら起こりえない」事故だったようだ。

でも事故は起きる。

 似たような事例でITの世界における情報漏洩対策があるが、こちらもヒューマンエラーはあるものとして、おかしな行為はマシン側が制御するとか、本当にその行為を実行するのかマシンが2度3度と聞いてくるとか、ハード、ソフトの両面からさまざまな制御をかけて発生を防ごうとしている。

 情報漏洩についてはここに「悪意」のケースが加わるから、「やろうとしてもできない」レベルの制御もかかってくるが、でもやはり事故は起きる。

 そうすると所詮イタチごっこということになって、すべての可能性をつぶすべく頑張っても、いつかどこかが破られることを覚悟しなければいけないのだろう。

 であれば不幸にして事故が起きた時には、その事故をよくよく研究分析して、少なくとも同じケースでは事故が起きない手立てを講じて、事例を一つ一つ地道に積み重ねていくしかないのかと思う。

一方で、CAの研修が極限ともいえる状況で実地に効果を発揮した。

 TV報道で元CAで指導的立場も経験した方が幾人かコメント、解説されていたが、皆さん口をそろえて「決して奇跡なんかじゃない。やるべきことをきちんとやった結果。」とある種誇らしげに、ある種嬉しそうにおっしゃっていた。

 今回の事例だけを捉えてものを言うのも適切かどうか分からないが、ともかくも研修とかトレーニングが極めて有効であったと証明できることは事実だろう。

 下世話に言えば、CAに採用された方全員が、揃って責任感に富み、パニック状況にあって冷静にふるまえる資質の持ち主だったとは考えにくいし、諸外国には船長や機長が事故時に我先に逃げ出した事例だってある。

 今回のCA達は訓練や教育を受け、それを重ねていく中で技能を高めるだけでなく、まさに安全保安員たるCAという、一つの職業的人格を形成したのだろうし、そうでなければ火が燃え盛り、煙が充満する中で自己の身の安全を度外視して乗客を誘導するなどできないに違いない。

 今回の事故から、ヒューマンエラーの不可思議さを改めて思い、同時に、訓練によって人が本能的に持つはずの逃走本能や恐怖心も克服できるのだという、ヒトの可能性について認識を新たにしている。