今年も入試のシーズンがやって来た。リスキリングの時代に今の大学ってどうなのよ。

悲喜こもごも、受験生はもちろん、受験生の親御さんも落ち着かない日々でしょう。

 入試の結果次第で人生が決まると思っている人が多いのだから、その悲壮感や如何にと思えばなかなかに切ないものがある。

 人生の「現役」を通り過ぎた者から見れば、学校の名前はせいぜいスタート時点でのアドバンテージくらいで、さて、終盤までとなるとそこまでの力もないのだが、イヤイヤあんたの人生であんたの学校はその程度だった、と言われればその通りでもあり、頑張るに越したことはない。

 一方で頭の隅に置いておかなければいけないこともある。昨今のIT人材の払底に対応するべく、文科省はその系統の学部学科の定員増を例外的に奨励している。つまり学問領域といえど時代の流れの中で、重要度は簡単に変化する。

 例えば昔の電気、電子、機械等の分野は名称共々教育内容を大きく変えてきているし、原子力はより重要になったとも言えるしもうオワコンとも言える。人文系統に至っては不要論が盛んだ。

結局一生勉強なんだよね、というのが今風にいうと「リスキリング」だろう。掛け声や心がけの問題ではなく、リアルに勉強し続けないとね、ということ。

 目まぐるしく変化する世の中で、常に一線で活躍しようと思えば必要な知識、技能も目まぐるしく変わる。22歳で身につけた、あるいは博士まで修めようとも、分野によっては賞味期限10年が良いところ。

 そんな中、今の大学教育システムは、ひいき目に見ても昭和の時代、高度成長期にマッチする程度の設計ではないだろうか。

 入ったもの勝ち、履修内容や質に関する保証など、実際にどれほどの責任感を以て我がこととされているか。さらにアフターケアに責任を持とうとしているか。などなど、以前から言われている課題への対応も一夕一朝にはできない話で、さらにリスキリングへの対応までははなかなか難しいだろう。

 個人的な感想なのだが、上記の課題に対応しやすいのがアメリカのコミュニティカレッジのシステムではないかと思っている。似たような形態で我が国には専門学校もあるが、失礼ながら教育の質や施設設備の充実度などの点で、大学短大に見劣りする学校も多い。

 そこで、まあ一つの暴論と思って見ていただきたいが、今の専門学校の中で希望するところはその質や設備等の審査を経て「コミュニティカレッジ」(「Cカレッジ」とでも呼ぼうか)として大学の種別に組み込んでは如何か。その時、各地にある職業訓練大学校や中小企業大学校のような、省庁立の(下手な大学より立派な)学校も公立の短期大学として、同じ種類のCカレッジとして再編する方が良い。

 4,5年前に「専門職大学」の制度ができた。ただ、基本的には既存大学と同等の基準で作られたようで、あまり数も増えないし、既存の大学と何が違うのかよく分からない。

 対してここで言う専門学校等からの転換は、明確に「リスキリングへの対応、トレンドへの素早い対応を行い、上質な教育、トレーニングを実施する(できる)短期大学の一種」として、認可すれば良いのではないか。

 教育内容のある程度の標準化を行えば、アメリカ同様、そこでの取得単位は既存大学の単位としても認められることとし、編入学もし易い仕組みができるだろう。そうなればCカレッジと大学間での往来や社会とCカレッジ間での往来を通して、生涯にわたって”今”必要な知識技能を学びやすい社会基盤になるのではないか。

 既存の大学は自分たちの既得権益を侵されると思うかもしれないが、あにはからんや少子化の折どんどん大学がつぶれていく時代にあって、上記のような「生涯学び続ける社会」が一般化すれば、学生の母集団が一気に何十倍にもなるのだから、国を挙げて取り組んだ方が良いですよ、と、いらん一言で終わります。