おばさん発言問題で思ったこと。徒然なるままに・・・。

「おばさん」発言を国会で問題視した議員さんが過去に「おじさん」発言をしていたとか。ネットではもう一盛り上がりしているのだそうだ。

 こういうのを一昔前であれば「言葉狩り」と称したのだろうが、今どきはポリティカルコレクトネス(PC)とかで、一つ位が上がったような、重大さが増したような、問題視される程度がちょっと尋常でないと感じている。

 個人的には引退した身分でもあり、世間にあまり気を使わなくてよい立場になっているのだけれど、気取りなのか、PCにはなるべく気を付けていて、詰まるところ時代遅れとか田舎者とかそんなレッテルで見られたくないということなんだろう。

 家庭内や仲間内であれば未だに、ババアとかジジイとか普通に出て来るし、ブッサイクなんて言葉も普通に使っているし、そこに悪意がある場合もあれば、愛情(大袈裟か?)がこめられている場合もあって、言葉はその場、空気、環境に依存するものだと思うから、どんな文脈でどんな含意でというところまで感じ取らないといけないし、逆にそこが伝わらないとトンデモないことになりかねない。

 PCというのも、だからあくまでも「ポリティカル」な場や文脈では使ってはいけないのだが、問題はポリティカルの解釈だろうか。政治的と解すれば結構狭い範囲だが、「政治的、社会的」とする訳文もあって、「社会的」が入ってくると相当難しい問題となってしまう。

 少なくとも、国会議員が公に発言する時はすべからく使うべきではないだろう。が、一般市民が内々の場において使う分には、いわゆる伝統とか慣習とかそのあたりを規範に考えれば良いのかと思いつつ、不愉快に感じる人がいた場合には「社会的」には失格になるのか。

 でも屁理屈を言うが、私の母の妹を日本語では「叔母さん」というのであり、音では「オバサン」である。オジサンも同様であって、これを社会的な場において発することは普通にある。この場合親戚としての関係性の理解が前提にないと、結構大変なことになりかねない

 オネエちゃんというのも結構難しく、例えば私に2人の姪がいたとして姉の方を「お姉ちゃん」と呼称するのはごく普通の事。しかしこの子が大学生くらいの年齢であった場合はなかなか恐ろしいことになって、例えば駅でばったりこの娘に会って「おお、オネエちゃん、おめかししてどこ行くの?」と言った場合、私はとんでもないセクハラジジイと思われても文句が言えない。

今回の事でとても気の毒だと思ったのが、オバサンとか色々言われた上川さんが「なぜ抗議しないか」と責められたこと。

 確かに国会議員であればPCに感度を以て、不適切な言動には抗議しないと、PCを理解しない、あるいは今回の事で言えば女性の権利や尊厳を守る気がない人、となるのかも知れない。

 けれども、仮にだが上川さんがもともと政治家として自分の容姿や年齢や性別に関心が薄くて、そんなことを言われても屁とも思っていなかったとしたら、自然には反応できなかっただろう。

 さらに、昔のことだが石原慎太郎小池百合子のことを「厚化粧オバサン」だったかな、そんな風に、これは完全に意図を以て揶揄した時に「私はもともと痣があって、それを隠すのに化粧が必要なんです。」と、PCどころかある種の身体的欠陥いじりのレベルにまで一気に飛躍させてバッサリと切り捨てたことがあった。これは政治的感性というか喧嘩上手というか、すでに性別なんか超越したレベルである。

 不寛容と言われる現代で、言葉も大変に不寛容なのだけれども、まあ国際的とか政治的とかそういったレベルではPCも重要だろうが、一般市民の生活では気さくな、ちょっと乱暴なくらいの言葉が飛び交う方が、元気の良い社会と思う。

 何にせよ生きづらいと感じる世間というのは勘弁してほしいね。