原作者の方が亡くなられたのだから、関係者の皆さんが動揺したり悲しんだりするのは大いに理解できるところなのだけれども、ちょっと感情的なコメントが溢れていて、事の本質というか、問題の核というか、どうにも見えなくなっているように思えてならない。
特に小学館の「第一コミック局 編集者一同」のコメントが出るに至っては、それこそ担当者としての気持ちは痛いほど分かるし伝わるけど、結局何が問題だったのか、混迷を深めていると思う。
ご丁寧に著作者人格権の解説まで付して、原作者の「権利」「心」が守られることが当然であり、自分たちも今後原作者を守ると宣言している。まさかこれも会社の意向による行動とは思いたくはないが、ちょっと理屈と心情とがない交ぜになって、私には真意が読み取りにくく感じられた。
一方で翻案権という権利もあるが、その権利がどうなっていたのか、誰が原作者の許可を得て権利を持っていたのか(たぶん小学館だろうと思うけれど、違うのか?)が良く分からないし、翻案が許可されていたからこそドラマ化されたのだろう。
また、ドラマ化のためには脚本が必要で、ではその翻案された脚本にも、あるいはドラマそのものにも著作権は発生するだろうし、そちらの著作権保護の問題も出てくるのではないだろうか。
彼らの言うように、今回の問題の本質が著作権であり、法律上の問題であれば、その侵害行為として法律上の解決を目指すべきであろう。
そうじゃなくて、原作者の心の問題なのであれば、原因の究明の仕方やそれに基づく今後の対策のありようも変わると思う。
なんとなく感じるレベルではあり、勘違いなら申し訳ないのだが、伝統的に力関係がモノ言う世界だったところに大変ショッキングな出来事が起きて、いたるところで混乱し、自己弁護に走ったり、うろたえたりしているのが現状ではないのかと感じる。
また、これも伝統的に、作家が「作品というのは世に出した時点で、どう解釈されようと既に自分の手を離れた物だ」的に鷹揚なことを言うのも見聞きしたことがあるし、人によって端から二次元表現と三次元表現は別物と割り切っている場合も多かったのではないか。その点で今回のケースはTV界にとってはかなり異質で対応が難しかったのかも知れない。
基本的には、理詰めで分析して、理詰めで今後の対策を検討しなければいけない問題だと思うから、それができるのはやはり力のあるTV局と力のある出版社だろう。作者や俳優や、まして社員には荷が重すぎる。