小澤征爾が死んじゃった。人生でそうそうない喪失感。ともかくも合掌。

友人でも恩人でも、肉親でもない他人が死んで喪失感を感じるのはそんなにないだろう。自分に取ってはチャップリン以来かも。あとは長嶋茂雄の引退の時くらい?

 その二人の出来事はいずれも中高校生の多感な頃だから、小澤の事は約半世紀ぶりの自分史上の出来事になるのか。

 既に15年ほども実質的には引退状態だったのだから、いずれ遠くない時期にその時が来ることは承知していたし、申し訳ないが私の中では亡くなっていたに等しいのだけれど、いざ映像でその訃報が流れると頭の中がスカスカするような、体が半透明になるような感覚に襲われた。

 なぜチャップリンか、なぜ長嶋(は御存命だけど)か、そしてなぜ小澤なのかと考えても明確な理由などある訳もなく、とにかく憧れであり、尊敬であり、ヒーローであった。

 クラシック音楽は学生時代からずっと聞いているが、かといって小澤のレコードやCDを特別に多く持っているわけでもなく、彼の決定版、名盤というのもすぐには思い出せず、また持っている枚数ならオーマンディバーンスタインとかの方がずっと多いし、音楽的にもはっきり言って彼らの方が好きだ。それでも小澤と彼らとは違うのである。

 改めて、小澤の何に惹かれたか本当に分からない。そもそも彼は世代的に自分の父親に近い訳で、旧満州に生まれ、板垣征四郎石原莞爾から名前をもらっているなど、結構特殊な生い立ちであって、音楽家としても、初期に挫折めいた時代も経験しているが、全般的には早くから名を成したと言えるだろうから、どん底からの成功譚とも違う。

 一つだけ、小澤というと必ず思い出す事があって、それは小澤に密着したドキュメンタリーがTV放映されたことがあって(ドキュメンタリー自体はDVDになっていると思う)、その時のヨーヨーマとの会話のこと。

 二人は自宅の庭のようなところで楽し気に食事をしながら会話をしているのだが、小澤が「東洋人が西洋音楽をやっていることを君はどう考えているか」というようなことをヨーヨーマに聞くと、「そんなこと考えたことはない。」と彼はきっぱり答える。小澤は突然顔色が変わり「本当に?」と言いながら「悪いけどカメラ留めてくれないか。とても大事な話なんだ。」と言って、そこでその部分の映像は終わる。(記憶違いがあればご容赦。)

 これに関連するが斎藤記念オーケストラでのインタビューで、「齋藤秀雄先生の教えをきちんと実践することで、世界がそれを認めてくれている。このオーケストラの活動を通じて、その教えを自分達の次の世代も受け継いで行く。」ということを言っている。

 このことは、「東洋人が西洋音楽をやること」が彼の中にはテーマとして、おそらく死ぬまで離れることなく根深く巣くっていたことをしめしているのだろうと、私は思う。

 いきなり話が飛んで恐縮だが、ヨーロッパに行った時にホテルでタキシードとイブニングドレスの土地の若いカップルを見たことがあって、その時「この服は西洋人のための服なんだ」ということをつくづくと、骨の髄まで思い知らされたことがあった。洋服は西洋人のために何百年もかけて発展してきた服であることが身に染みて分かった。

 逆も真なり、西洋人が和服を着て浅草や京都を楽し気に歩いているが、日本人が見れば髪や目の色など分からずとも、一目で日本人ではないと分かる。

 私の世代にして東西文明の抜きがたい相違のようなものを肌感覚として持っているのだから、それと同じ(レベルが違う?)ことを、あの世代の人であれば、しかも音楽に関して人並み優れた感性を持っていれば尚更に、強烈な思いとして、西洋音楽に対して何事かを乗り越えるのか、あるいは独自の道を行くのか、さまざまに思い悩んだに違いない。

 なんてことを本当に彼が思っていたかは定かではないが、なぜ彼をヒーローとして心に住まわせていたのか、私なりの説明にはなるんじゃないかと改めて考えている。