入試における公平公正について考えてみる。たまには真面目に。

中学校の先生が願書の提出を忘れていて、生徒が高校を受験できなくなったという件。願書の提出を受け付けなかった高校の言い分は「公平公正」のため。

 締め切りを過ぎたら門戸を閉ざすのは我が国において常識といって良い。ここをルーズにしたら収拾がつかなくなるだろう。まして入試に係わる事であれば、公表された基準規則は一ミリたりとも動かすことはできない。入試にとって「公平公正」こそが死守しなけらばならない規範であり、価値観である。

という事なのだろう。が、逆に入試の事であってみれば「本当か?」と疑ってしまう。

 まず、入試においては過去に幾度も同類の事案が起きている。そのたびに罪のない生徒が被害を受けているにも拘らず、また同じ過ちが起きた。ここで「過ち」というのは何の罪もない生徒が被害者になったという事を指している。

 であれば、入試に携わる者として、願書を提出する者も受け取る者も、罪のない者の被害を防止するための手段を講じていてしかるべきであった。

 しかも許しがたいのは、今回の場合であれば高校側は、おそらく自らの負担を軽減するため、中学側に願書の取りまとめを依頼あるいは条件にしていると思うが、にもかかわらず、中学側のわずかなミスに公平公正を金科玉条のごとく振りかざして生徒の受験機会を奪ったのだ。

 事前に取るべき手段はいくらもあっただろう、それもごく簡易に。例えば締め切りについて「〇月〇日〇時締切。ただし、期限を過ぎても本人の責に帰すべきでない事由による場合は適切に判断する。」とするとか、いっそ「本人からの郵送に限る(中学校等が取りまとめて提出することは認めない。)」などと要綱に明記しておくだけで済む話である。

 また事後において、中学校の校長が出向いても原理原則で拒否したようだ。これも例えば「このような事案が起きたが、締切超過はごく僅かであり、また過失の程度も軽微で、しかも受験希望者本人には何の過失もないので特例的にこれを認めた。」と発表すれば、おそらく誰も文句など言わなかっただろう。公表することで公平公正は保てたはずである。

 次に、そもそもの話として、今どき「入学願書」なる時代錯誤な文言の書類が普通に存在していて、面倒な書類を山ほど請求するからこのような事案が発生するのであって、「入試申込」とか「受験申請」とかの形にして、ネット経由を基本とするなど、中間に在籍学校など入れさせなければ良い。

 国家資格の試験でも今どきの申し込みは大抵ネットで、登録事項も氏名、住所、電話番号、メールアドレス程度である(入試なら在籍学校の情報も必要だろう)。それで本人の同定は十分可能なはず。しかもこの方が個人情報の取り扱いとしては適切である。

 そのうえで、申し込みを受け付けた方が当人の在籍する学校に、必要に応じて卒業見込証明や成績証明、内申書などを請求すれば良い。さらに入学に必要な書類ならば、合格者だけに後日請求すれば、不合格者の個人情報を入手してしまうリスクも低減するし、何より入試全般の手間は省ける。

 そういった工夫も努力もなく、同じ過ちを繰り返したことを日本中の入試関係者は重く受けとめるべきである。

 今回訴えられるべきは高校や教育委員会の不作為であると私は強く思う。あるいは適切な指導をしてこなかった文科省か。被害を受けた方には申し訳ない言いようになるが、中学校がやったのはミスだから、悪いのは悪いが、私の考え方からすれば悪さの程度が前者とは違う。

 本来入試は、学校が試験の点数の高い者から順番に合格させなければならないものではないはずで、学校がその学校に相応しい、入学して欲しい、学校の発展に資する、と思う人を広く公に求めて選抜するためにあるはず。そういう入試本来の在り方に照らした場合に求められる公平公正とはいかなるものなのか。常識にとらわれずに根本から考え直すべきだと、常々そう感じている。