政倫審をやるやらないって揉めてるけど、やったらどうなるの? で、やらないとどうなるの?

「政倫審」というのは過去にも何回か開催されたようだけど、そんなのがあったんだと、この歳にして知らないことの多さに改めて気づく。

 で、これをやる意味というのか、やると何が起こるのかが良く分からない。どんな落としどころ?とか良く分からないことだらけなんだけれど、どうなんでしょう。

 例えば、対象の議員を辞職させることを目指しているんだろうか。でも、今回の対象者は検察が立件しなかった人達であり、議員辞職を迫ってもする訳がない。

 規則上政倫審は非公開が原則らしいが、TVを入れる入れないが攻防のテーマになっている様子からすれば、要は対象者を吊るし上げて野党政党のポイントを稼いで、来たるべき選挙に繋げたいという思惑なんだろうか。

 街頭のインタビューでも、結局みんな良く分かっていないんじゃないかと思うんだけれど、例えば「全く説明が足りない」とか「納税の意欲が無くなる」とか「政治に不信感が募る」という声が多いけど、これらが正義の実現を目指しての発言とは、失礼ながら思えない。仮によく説明されて事の経緯や金銭の使途が分かっても、納税したくなるはずもなし、政治不信が無くなるものでもないだろう。

 してみれば、インタビューの皆さんもマスコミなどで使われているワードをあたかも自分の思いのように思って口にしているのかもと、これも失礼ながら、そんな風に思えて来る。

 であれば、説明責任と言い、国民の知る権利と言っても、所詮は「隠されると見たくなる」とか「悪い奴はとっちめてやらないと気が済まない」的な、ただただ不愉快とか向かっ腹が立つという事なのかなと、思い切り程度の低い感想が沸いてくるのだ。

つまるところ、良く分からないながらも、不正を正すのは極めて大切なことなので、やるなら「きっちりと」かたを付けてくれと思うのだ。

 こういう不祥事系の話が大きくなるといつも思うけれど、単なるイメージ戦略的なケースも多くて、もし今回もそんなことなら、それこそ国民は飽き飽きしているから、もうやめてくれって気分にもなる。

 野党が本気で倒閣を目指して政権交代をしたいなら、それなりに国民も緊張して事態を認識すると思うけど、過去は「内閣総辞職だあ」と迫りながら、最初から数で勝てる訳もない不信任をセレモニーとして提出して、即決で否決してお終いのケースが多い。そんな時も野党が目標の未達を支援者に詫びたり、党首が責任を取ったりした例も寡聞にして聞かない。

 そこまで行かなくても、もし議員辞職を迫るなら迫るで、しっかりと辞職させられなければ負け、責任問題、くらいの覚悟を決めて腹を据えてやってもらうと見ごたえもあるんだが。

結局のところ(支持者には申し訳ないが)今の与党がダメだと言っても、じゃあ野党が政権を取ったらハッピーなのか。そうとも思えないから政治不信になっているんじゃなかろうか。

 例えばの話、政権交代によって清新な政治の実現や福祉の充実など、おそらく今よりは期待が持てることも多いだろう。

 が、トランプや習近平と渡り合うとか、ウクライナ問題でEUと交渉するとか、あるいは国防を強化するのか否かなどなどの問題について、今のように与党の失策を喜んでいるような、その挙句兜首の一つも取れないのに恥じることも無いような人たちで大丈夫なのだろうかと、不安になる事もまた多いだろう。

であれば今野党がやるべきことは、与党攻撃をするのに並行して、いやそれ以上の情熱で、力をつけることが重要と思うが如何?

 例えば上に書いたような倒閣の力もそうだが、国民をなるほどと感心させるような政策の提言力、そしてそれを立法化する力などなど。そうすれば、与党が油断したら黙ってても政権交代は起きるし、そんな緊張感の中ではいい加減な倫理観の政治家は淘汰されるに違いない。

 ニュートラルのつもりで書いたけど、もし引っかかる表現などあったらご容赦。